爆笑問題のPodcast「太田はこれを読んだ」 外国文学部門で推奨されていたスタインベックの エデンの東。30分に及ぶ太田の熱弁を聞いているうち 本当に読みたくなってしまいました。 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● 太田 エデンの東って映画化されているのは後半の一部なんですよ。ジェームス・ディーンが演じたキャルという主人公の、ザ・タッチみたいな双子の物語なんですよ。キャルと二卵性双生児でアロンというね、双子なんですよ。あの映画見ました? 田中 見てないですよ 太田 見てない? 田中 エデンの東っつうのは見てないですね。 ジャイアンツは見ましたけどね。太田さんと一緒に。 太田 だいたいね、ジェームズ・ディーン演じるところのキャラクターはああいうナイーブな、同じような感じなんですけど、(その中でも)代表作ですよ。キャルって言うのはね。どういう話かっっていうと、その双子の兄弟でありながら、片方は愛されるんですよ。アロンというのは。なぜか周りにものすごく愛される。無垢で、誰からも嫌われない。世の中に受け入れられる人間なんですね、アロンっていうのは。 で一方のキャルっていうのは何をしたわけでもないんだけど、誰からも愛されない青年なんです。 田中 (タッチの)南ちゃんからも駄目、みたいな、そんな感じ? 太田 あのね、南ちゃんに当たる何ていったけな…アブラ!アブラっていうね女の子が出てくるんだけど最初はやっぱりアロンなんですよ。で、タッチとおんなじようにキャルもアブラのことが好きなんだけど、自分は愛されないっていうのわかってるんだよね。 田中 ほんとタッチだな。わかりやすいな。 太田 で、一番のポイントは父親なんです。母親はある事情によっていないんです。この父親っていうのが、どうしても、アロンのほうを…おんなじですよ。双子だからね。だけど、だから別になんつーの、嫌いな女の子供とか、そういうんじゃないんですよ。義理の子供っていうわけじゃないんだけど、アロンを愛しているっていうのが、これ別にね、何かに意地悪されるとかそういう問題じゃ別になくて、生まれながらにして感じ続けているものがあるわけです。 田中 わかりやすいわけではないけどね、なんかね、その子はもうなんかほんとわかっちゃう。っていう感じなんだよね。 太田 わかっちゃう。つまりそれは太宰みたいに…アロンっていうのはね、ほんと無垢なんですよ。そのかわり、まわりは大変なんだけど、本当に純粋で、けがれをしらない。だから許せないんですね。汚いことや意地悪っていうのが。 ところが、ジェームズ・ディーン演じるキャルっていうのは、どうしてもそういうこと考えちゃう。でもアロンのこと心から愛してる。父親のことも心から愛してる。でも、自分の中の、そのなんともいえないいやらしさってことに悩んでて、要するに自分は鬼っ子みたいなもんでね、絶対に愛されないって自分でわかるわけね。で、そこを描いたのがまあエデンの東なんですよ。映画のね。で、まずそこに、ジェームズ・ディーンがその時代にたまたま生まれあれを演じたっていうのがもう奇跡なんですけど、この原作読むとね、あのジェームズ・ディーンのあのキャルっていうのも、ほんっとにジェームズ・ディーンのことを知って書いたとしか思えないくらいの。もう、びっくりする。偶然の出会いにしては、おそろしすぎるくらい。な、キャラクターなんです。 で、この(映画の)エデンの東にはその前の話がありまして、すごい大河ドラマなんです。キャルとアロンの父親、アダムっていうね、要するに「パパは自分のこと愛してくれない」って(キャルから)思われてるその父親はね、アダムっていう。で、これはアダムっていう人の少年時代から話が実はあるわけ。で、それがないとね、なぜキャルが愛されないのかっていうことがわからないんだけど、 ハミルトン家とトラスク家っていう二つの家があるんですよ。トラスクっていうのは、アダム、言ってみればメインになる家なんだけど、トラスク家に二人の息子がいて、アダムとチャールズっていう。これはアダムが兄貴でチャールズが弟なんだけど、 アダムの父親にも、アダムにも、弟(チャールズ)がいる。で、その少年時代から始まるんですよ。このチャールズっていうのが、やっぱり父親に愛されない。チャールズはものすごくがたいがよくて、ガキ大将なんです。けんかが強くて、男らしい男なんです。かたやキャルの父親であるアダムっていうのは平和主義者で、繊細で、絶対けんかとかもしない非力な息子なわけです。で、その彼らの父親がいるんですけど 田中 ジェームズ・ディーンのおじいちゃんね 太田 そう。三代にわたる話なんです。そのおじいちゃんは戦争に行った軍人なんですね。ものすごい軍人として高い地位まで行った人で、自分の息子たちを厳しく育てていくんですよ。「おまえら軍隊に入れ。軍隊の規律のある生活を」って言うわけ。だけど、アダムって言うのはね、チャールズと違って非力だし、けんかも弱いし、軍隊にはいるのに向いてるのはチャールズだって思うわけ。自分はそういう意味では、あんまり父親には気に入られてない。アダムはそう思い続けてる。ところが、その年齢に達したときに、父親が軍隊へ行けって言うのはアダムのほうなんですよ。で、チャールズのほうが実は愛されてなかったていう、まず前段階が始まるわけです。チャールズはそれでアダムを憎むんですよね。憎んで憎んで、半ば殺すくらいに殴ったりっていういろんな事件があって。 で、それが実は統一のテーマでチャールズは父親の誕生日にきれいなナイフを自分の金で買ってわたすんだけど、父親はそれをありがとうって一応受け取るんだけど、いつも持ってくれるわけじゃないのね。自分の机に置きっぱなしなの。ところがアダムが適当に見つけてきた野良犬なんだけど、その犬はものすごくかわいがるわけ。つまりチャールズはなんで父親に俺だけ愛されないんだと思い続けているんですよ。 田中 うわーそれはかわいそうだ、チャールズ 太田 そこに、これがおもしろいんですけど、まったく別なところの少女が描かれるんですよ。これがね、キャシー。アメリカ文学最大の毒婦と言われている、ものすごい悪い女なんです。少女時代から描くんですよ。子供のくせに大人を手玉にとるんです。きれいで、珠のように美しい美少女。だけど、男たちが何を自分に求めているかわかっているわけ。そういうの計算して、学校の先生なんかはキャシーに夢中になって袖にされて、自殺しちゃったりなんかする。 キャシーは父も母も全然愛さない。肉親ですよ。スタインベックは「悪魔だ」というふうに書き出しからして「世の中には神に見放された人間が確かにいるんだ、それは怪物なんだ」っていうことでキャシーを描いていくわけです。このキャシーとアダムとチャールズ兄弟がつながるわけです。 田中 あーおもしろそうだね。 太田 で、あるときキャシーが売春婦になるんですよ。家をそれこそ放火したりして、両親殺して、逃げていくんですよ。で、売春婦になるんですよ。そこでまあ、一悶着いろいろあって、殴られて傷だらけになってチャールズとアダムが住んでいる家にたどり着くんですが、そこでそのキャシーを助けるんですよ。 アダムはキャシーに惚れるわけです。ところがチャールズっつうのはキャシーに自分と同じ臭いを感じるんですね。キャシーはキャシーで、アダムは騙せるって思うわけ。こいつを利用しようって思うんだけど、同時にチャールズには、今までに出会ったことのないおそろしさを感じていた。つまりこいつは私と同じ悪魔だって。 田中 なんで今まで悪魔っぽくなかったのにな、話聞いてるふうにはな、チャールズ。 太田 いやいや、チャールズは悪魔的なものがあるから悩んでるわけ。チャールズは、そういう意味じゃものすごく乱暴者で、怪物なんですよ。自分じゃ抑えきれない、はみ出したものがあって、父親はそれを見抜いてるわけ。ああいうやつを軍人にしちゃ駄目だと思う。自分に制御が効かないから。だからこそ平和主義者のアダムをあえてっていうところがあるんですけど、で、このキャシーとまじわっていくわけですよね。 アダムはキャシーに惚れて、結婚することになる。チャールズは大反対する。キャシーはチャールズを利用するわけです。アダムと結婚を決めた後にチャールズを誘う。つまり悪魔同士がっていうところの。これはね、核心的なところが描かれてないんだけどまあ二人は寝たなって思わせるところがあって。 で、キャシーは縛られたくないから、妊娠するわけです。どっちのこかは明かされないけども。アダムは当然自分の子だと思って一緒に住もうって言うことで結婚までするわけですけど、キャシーは子供を産む。それが双子なんですよ。 産むんだけど、産んだと同時に出て行くんだよね。要するに解放されて。こんなところに縛られたくない。で、アダムにはそれまではすごくいい妻を演じるんだけどある日突然豹変してアダムを撃って出ていくんですよ。 田中 撃っちゃうの? 太田 撃っちゃう。拳銃で肩を撃って出て行くんですよ。そこに、アダムは何のことだかわからないんだけど、自分を憎んでいるそぶりすら見せなかったって言うわけキャシーは。つまりアダムが邪魔だから撃った、っていう撃ち方で出て行くんです。 当然アダムはもうがっくりくる。人間をやめる、ようするに廃人みたいになるわけだ。そこに、ハミルトン家って言う、これはスタインベックの母親の家なんですよ。母親の家計なんですね。これが、言ってみりゃあその、これ実話にも近いんですよ。スタインベックのいた家計がハミルトン家。スタインベックのおじいさん、サミュエルって言うのがもう一人の主人公なんですよ。この人がものすごく魅力的な人間なのね。この人が、アダムを救うんですよ。廃人になっているアダムに農場やってもうちょっと元気出せってね。 この人はものすごく頭がよくて言葉にものすごく含蓄があってすばらしい。これが感動する。いろいろ複雑なんだよこの話。だけどここが感動する所なんだけど、もう一人ポイントになる、これ映画じゃまったく描かれてないんですけど、リーっていうね、中国人の使用人がいるんですよ。この人はアダムの使用人なんですよ。 要するにいろんな身の回りのことをしている。この人もものすごくインテリで、学がある人。このリーとサミュエルが協力してアダムを救っていくわけ。 アダムがだんだんと自分の力で立とうと思うようになる。それはサミュエルの説得によるんだけど、サミュエルは何て言うかって言うと「そういうときは生きてるふりをしろ」っていうんだ。「生きてるふりっていうのは、長く続ければそのうち真実になるから、生きてるふりだけしとけ。」そういう言葉がちょっとずつちょっとずつアダムを救っていく。チャールズは全然別の所に住んでるんですよ。 いろいろ人が出てきて複雑なんだけど、結局じゃあまあ、大きなテーマを言うと、これはね、旧約聖書なんですよ。旧約聖書にカインとアベルって言う物語があって、ふたりの子供が、兄弟ですね、兄弟殺しの話なんですこれ。神に貢ぎ物をするんですね。片っ方の貢ぎ物を神は受け取るんだけど、もう片方は拒否されるわけ。っていう兄弟、カインとアベル。カインが拒否されるほうになる。カインがそれに腹を立てて自分の弟を殺すって言う話なんですよ。これ旧約聖書にあるんです。これが統一されたのがエデンの東になる。 で、結局カインはどこ行くかって言うとエデンの東へ、要するに追放になると。でそこで、神から言われる言葉があるのね。それがおまえはこれから罪を背負っていく。で、もしそのつみを償って善を行ったときに、おまえはその罪を克服する、「だろう」、っていうセリフがあるんだって。俺も旧約聖書そのものは読んだことないけども。で、そのことがひとつのテーマになるわけだ。リーって言うその使用人は、なぜ神はカインを拒否し、アベルを受け入れ、しかもその神の最後の言葉、どうも引っかかるって言うわけ。汝はそのことを治めるだろうと、つまり罪を克服するだろうと、これが引っかかるんだけど、っていうのをね、サミュエルとリーとアダムで、ある夜話し合うわけですよ。 これがひとつの、そのあとに続くテーマになってくんだけども、要するに一番この世の中で地獄なのは拒絶であると、神からの拒絶であると、これはチャールズもそうだった。つまり父からの拒絶ですね。で、キャルもそうなんですよ。キャルも拒絶されるんですよ。で、このリーという使用人は、旧約聖書をひもといて、何とか自分のご主人様(アダム)にキャルを拒絶しないでほしいってことを教えようとするわけ。これが、サミュエルもそうなの。でも、みんな、二人とも、あのキャシーという女をよく知ってて、キャシーに似てるのはキャルのほうだっていうのをわかってるから、この父親はカインのようにキャルを拒絶するだろうと、思うわけ。だからこそ、その旧約聖書を、ふたりでこう、やっていくわけ。 で、映画のエデンの東になっていくんですよ。そうすると、キャシーはどこにいるかっていうと、すぐ近くの町に娼婦として、いるんです。息子たちには自分の母親が娼婦だってことを知らせないようにして育てていくわけ。アダムはアダムで、自分のかみさんであるキャシーが娼婦としてそこの町にいるって言うことを知らないまま立ち直っていくわけ。だけど、リーとかはわかっていて、あるときわかってしまうだろうと。 で、キャルっていうのは、そういう、まあジェームズディーンね。そういう性格だから、だんだんそういう情報がわかってきて、自分たちの母親が娼婦としてあの娼館にいると。これがもう希代の毒婦ですから悪い噂も聞くわけですよ。で、わかってくるわけ。成長するにしたがってね。で、これをもしね、自分が愛するアロン、無垢なアロンが知ったらどんだけ傷つくだろうっていうのは思いながらも生活していくっていうそういう展開なわけですよ。 で、最終的には、映画見てる人はわかると思うけど、キャルが、アロンを連れて、その、キャシーに会いに行くんですよ。で、アロンはそこで全部が崩壊するんですよ。つまりあまりにも無垢だから、自分の母親がこの姿、しかも娼婦であるっていうことはとてもじゃないけど許せない。で兵隊行っちゃうんだよ。戦死しちゃんだ。そこまでいってすべての、今まで積み上げてきたその、父親の、立ち直ってもう一回やり直そうとかいうそういったものがすべて崩壊する。 で、父親も息子が戦死したことのショックで、脳溢血みたいなので倒れ、言葉を失い意識を失い、死の床に、っていうのが最後の場面なんですよ。でそのときに、キャルは自分の罪の意識、これはものすごいわけですよ。このままおやじは死ぬのかっていうところで、自分がすべての世界を壊してしまった。自分はあんな風にキャシーみたいに悪魔になりたくなかった。化け物になりたくなくて、ずーーーーと気をつけて生きてきたのに、結局は自分が、自分の愛するものすべてを壊すっていう局面に立つわけ。で、ものすごい罪の意識になるわけ。 そのときに中国人のリーっていう使用人が、その、カインとアベルの創世記の中の物語、最後の神の言葉。それを治むることになる「だろう」、と。つまりその罪の意識をあなたは克服する「だろう」と。というのを中国語訳で読んでたと。だけど、ここがひっかかるんだと。で、そのあとその話題になって何年もしてから、自分は調べたんだと。英訳で読むと、「治めよ」、になってる。命令形だと。つまり神からの命令なんだと。じゃあ、ヘブライ語、原語は何か?っていうと、それを知るためにそのリーってものすごくインテリなんですよ。ヘブライ語を語学全部勉強して、何年もかけて、勉強し、その言葉を導き出すんだよ。 それはtimshelっていう、ヘブライ語でいうと。これは何かっていうと「可能である」っていう意味なんだ。つまり、神は命令もしてなければ予言もしてないんだと。本来のヘブライ語の意味で言うと、治むることを能ふ(あたう)っていう能率の能です。つまり「治めてもいいよ」っていう言葉timshel。汝それを治るを能うっていうっていう言葉なんだと。っていうことをリーっていう人は、自分で調べる。 で、それを父親にもいうんだけど、つまりそれはどういうことかっていうと、カインとアベルのように運命づけられた人間、キャルとアロンもそうだしチャールズとアダムもそうだと。でも最終的に罪を背負った人間、キャシーもそうですね。それは、神が決めた罪っていうのは最終的にどうなるかっていうと、「治むるを能う」だから、つまり最後の選択権は人間に残されているんだ。キャルっていうのもずーっとその血、あの毒婦の息子であるっていうことで悩み続けるわけ。その運命にはとても逆らえないっていうところで、ずーっとこの物語は、ずーっと悩むんだ。 だけど、リーはそうじゃないんだ。人間には選択権があるんですよ。私はキリスト教でも何でもないけども聖書というのは名著だと思う。その名著の最後ヘブライ語の言葉はtimshelだと。それは可能であるという意味で、選びたければえらべってことなんですよ。最後の選択権は人間にある。それを知ってくれ。ってこうリーはいうわけ。そいでその死の床にいる、聞こえているんだかどうだかもわからない、アダムに、リーは説得するわけ。あなたの息子は今、その運命に翻弄され、自分の血で悩んでいると。どうかお願いします。あなたの息子に祝福を。許してやってくださいと。いうわけ。 そうすると、最後それが通じるんですよ。父親であるアダムの右手が挙がり、そのキャルに向かって祝福するような仕草をして、最後言葉にならない言葉を、それをよく聞くと、timshelっていう言葉なんですよ。おまえはもう運命から逃れよ。キャル、もうおまえは解放されていいんだ。っていうまあ俺はそういう意味合いだと思うんですけど、その最後は人間に選択権があるんだ、人間が自分の人生は選んで、血でも何でもない、運命でも何でもない、俺たちが選べるんだっていうそういう、この壮大な、それを言うための 田中 すごい三代にわたってずっとあったわけだねそれがね。 太田 そう。そういう物語なんですよ。このエデンの東は。
by fullofphonies
| 2009-06-23 13:52
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